遠藤亮の
ライフストーリー

STORY01

競争の世界へ

大学を卒業し、一部上場企業での社会人生活が始まった。100人を超える同期が横一列でスタートを切る競争のスタートだ。「競争」はあくまでぼく自身がつくった幻想という部分もあったが、大学を出たてのまだ若いぼくたちは、皆同じように成果をあげ認められたいと思っていたものがほとんどだったと思う。

社会人になる前、学生時代も常に競争があったが、ぼくはその競争意識が社会人になりより強くなった。競争の意味を深く考えることなく、そこはかとない不安を見ないようにしながら、目の前の競争に向かっていた。

学生時代を思いだしても、勉強しかり、部活しかり、競争が自分自身をよい方向へと成長させてくれたことは間違いない。ただ今ふりかえって思うことは、競争だけではある限度までしか人は成長できないということだ。競争によっていきつける場所には限界があり、本当の意味で人とつながり、協力し支え合うことができれば競争の限界ラインを超えていくことができる。しかし、社会人になった当時のぼくにはそんなことを考える余裕はなかった。周りから評価してもらうために、同期から認められるために、ぼくは一生懸命働いた。

ただひたすらにがんばり続ける

当時、飛行機に乗りながら思うことがあった。このまま飛行機が落ちてくれてもいい。今自分が死んだら、おしい人がなくなったと言ってもらえるだろう。それでいい…。しかし飛行機が落ちることはなかった。今となっては運がよかったのか、悪かったのかわからない。ぼくがぼくになる上で必要なプロセスだったのだろう。そうこうしているうちに、ぼくはいわゆる「成果」をあげて周囲の人たちが栄転と表現してくれる部署へ移動することになった。

土地も変わり、仕事相手も変わった。ここではもっと自分らしく働けるかもしれないという淡い期待を持っていたが、相変わらずぼくの中で競争は続いていた。どこかにその限界、競争による限界を感じながらもその直感にフタをして、ただひたすらにがんばり続ける自分がいた。自分自身の中に満たされる感覚を感じられないまま、自分にはもっとやりたいことがあったのではないかと考えるようになった。

「自分で会社をつくり経営したい」それはぼくが高校の時に考えていた漠然とした目標とも言えない、ひとつのイメージだった。不思議なことにぼくはその会社で何をするのかということよりも、同じ志を持つ仲間たちと協力して何かを創り出しているというイメージだけを強く持っていた。そこにいる人たちとどう働くかということに強いイメージを持っていたのだ。もしかするとそれは今に続く最初の一歩だったのかもしれない。

自分ひとりの力ではできないこと

悩みながらもぼくは新しい方向に舵を切ることに決め、転職することにした。
将来の独立を考え、選んだのはコンサルティング会社だった。この時もどこかで、世界が変われば自分以外の力によって、もっと幸せに働くことできるようになるかもしれないという期待感を持っていたが、当然のごとくそれは打ち砕かれた。

周囲からの評価、他人からの目を気にした客体的な価値観で生きているぼくの前から競争がなくなるはずはなかったのだ。むしろ競争はより激しくなった。先に入社していた人がやめていくだけでなく、後から入社してきた後輩もどんどんやめていった。 精神的にタフなものだけが生き残る厳しい世界。ぼくが本当の意味で競争の限界を感じたのは、この時だったかもしれない。

精神的にしんどい世界にいながらも、クライアント企業の社長、社員さんとともに新しいビジネスを立ち上げる仕事は魅力的だった。それは人と人がつながり合い、自分ひとりの力ではできないことをみんなの力で創造していく場だったからだ。

ただその取り組みは、一時的にチームのモチベーションを高めるだけで終わってしまうことも多くあった。ただ一時的とはいえ、あの時ぼくは人と人がつながることで生まれる力を知った。しかし、本当の意味で人と人がつながり、自分だけでは想像もできない成果をあげていくような新しい組織のイメージは、まだぼくの中に育っていなかった。

STORY02

安心の世界へ

山登りが趣味だったぼくは、自然の中で仕事がしたいという思いが頭の片隅に常にあった。
ただそれは趣味の世界だとあえて見ないようにしていたのだ。独立する時は自然の中で仕事をしたい。そんなことを考えているときにインタープリターという職があることを知った。単に自然の知識を伝えるのではなく、その背後にある意味や働きを、実際に体験することを通して伝えていく職業だ。人と自然をつなぐ通訳と言われることもある。

会社勤めは続けながら、ボランティアという形でぼくはインタープリターという仕事にのめりこんでいった。そしてぼくは今の会社、ホールアースへとやってきた。そこで目にしたのは、思い描いていた通りの人と自然をつなげるすばらしい仕事だった。ただそこには、ぼくが想像していなかったこともあった。それは、すべてを受け入れてくれる自然の中でそこに集う人と人が深くつながりあっていき、日を追うごとにコミュニティが着実に育っていくことを感じることができるリアルな現場の姿だった。そこでぼくはインタープリターという役割だけでなく、人と人をつなぐ促進役になるファシリテーターとしての役割も果たしていった。

自然の中で人と人がつながりあっていく事業への興味はふくらみ、ぼくはこれからの時代を生き抜いていく進化する企業にとって本当に必要な企業研修とはなんだろうということを深く考えるようになった。

競争原理では到達できない一段違う次元

まず取り組んだのは、自らが属する組織での実践だった。そこではこれまでのビジネスの価値観にとらわれた同僚からの抵抗もあったし、自らの価値観との闘いもあった。その先にある可能性のある世界へと踏み出していきたい自分と、それを甘い考えだ、常識的ではないとストップさせる自分との闘いだ。しかし、こうした試行錯誤の結果、安心というベースを持ち込むことで競争によって行きつける限界をはるかに超えられることがわかってきた。

そしてぼくはこれまで提供していた企業研修メニューに、安心をベースにしたチームづくりの要素を加えていった。これらの取り組みの中で、多くの企業では所属する人の能力が発揮されきらず、眠っていることもわかってきた。現在の会社組織のほとんどは、本当の意味で人と人がつながり合う効果を発揮できていないとぼくは考えている。

安心というキーワードを共有した組織は、主体性や自主性、個性や多様性が自然と花開いていく。周りの目を気にしてチャレンジできずに失敗を恐れ、無難な手をうっていくことしかできなければ、これからの社会で生き残っていく会社組織を維持することはできない。

そういう意味で、企業は今まさにこれまでの競争原理では到達できない一段違う次元へと進化することが求められているのだと思う。そこは、安心感をもってより自分らしくいきいきと働きながら、同時に会社も大きく成長していける、新しい世界だ。そこに気づいた人たちから、変化の芽はではじめている。ホラクラシーやティールなどはその一例だ。

組織に必要な力は、もうそこに宿っている

仮面をかぶり、いくつもの鎧で武装し精神をすり減らしながらなんとか自分を保っていた世界から、安心できる居場所を感じながら新しいこと、新しい自分へと挑戦できる場所に、自分の会社が変わっていく…。職場で働く社員一人一人が輝いて仕事をしている…。そんな景色を想像できるだろうか?

もしそれが実現したら、きっと今では想像もできない成果がどんどん生み出されていくことだろう。それは企業がひとつの「いきもの」のように進化していく世界だ。たくさんの要素が集まってできるひとつの「いきもの」としての組織では、人と人は深いレベルでつながり、信頼し合い、ミスや失敗を恐れずむしろそれを成長の材料として効果的に使いながら、前に進んでいく。組織に必要な力は、もうそこに宿っている。ただそれが開花していないだけだ。

安心をベースにした組織づくりは一朝一夕にできるものではないが、だからこそ今ぼくはその取り組みを同じ志を持つ企業、組織の人たちとともに挑戦していきたい。進化する企業のための企業研修を提案していきたい。